黒崎彰

ギャルリー宮脇のアーティスト紹介
Akira Kurosaki 1937-2020

黒崎彰(くろさきあきら Akira KUROSAKI)は、1937年満州大連生まれ。62年京都工芸繊維大学工芸学部意匠工芸科卒。70年第7回東京国際版画ビエンナーレ文部大臣賞。第3回クラコウ国際版画ビエンナーレ ワルシャワ国立美術館賞。72年第1回フィレンツェ国際版画ビエンナーレ金賞。81年第3回ソウル国際版画ビエンナーレ大賞。82年第6回ノルウェー国際版画ビエンナーレ審査委員賞。83年サンフランシスコ近代美術館「現代の巨匠・世界版画賞展」 世界版画賞。第2回バルナ国際版画ビエンナーレ(ブルガリア)1席。第1回「山口源大賞」展大賞。89年第1回バラトババン国際版画ビエンナーレ(インド)特別賞。90年第11回バンスカ国際木版画ビエンナーレ(スロバキア)名誉賞。93年第1回マーストリヒト国際版画ビエンナーレ(オランダ)国際審査員。第1回エジプト国際版画トリエンナーレ トリエンナーレ賞。94年第7回「京都美術文化賞」(中信美術奨励基金)受賞。97年ポートランド美術館国際版画展・買上賞。99年第17回「京都府文化賞」文化功労賞。2000年紫綬褒章受章。02年平成14年度「京都市文化功労賞」受賞。03年第1回北京国際版画ビエンナーレ優秀賞。17年「京都府文化賞」特別文化功労賞。作品は国内外の多くの美術館に収蔵されている。著書に『木版画に親しむ』(93年 日本放送協会出版)、『紙造形 - 紙つくりから作品制作まで』(2000年 六耀社)、『黒崎彰の全仕事』(06年 阿部出版)、『世界版画全史』(18年 阿部出版)がある。


A Memorial Exhibition of Akira KUROSAKI 1937-2019
黒崎彰 追悼展 〜 創作50年の軌跡
2020年1114日〜29 1〜7PM 11/16のみ休廊

追悼パンフレット『螺旋階段』第112号刊行
追悼寄稿掲載
・「伝統と新たな創造の華麗な精華」太田垣實(元京都新聞社編集論説委員)
・「黒崎彰作品に頻出するイメージ―とくに耳と階段について」馬場駿吉(元名古屋ボストン美術館館長)


<追悼評論続編WEB特別掲載>
馬場駿吉「黒崎彰作品に頻出するイメージ <補遺> 」

  ギャルリー宮脇発行の「螺旋階段」第112号には、今回の「黒崎彰追悼展―創作50年の軌跡」(2020年11月14日〜29日)に因む、黒崎彰, くろさきあきら, Akira Kurosaki 筆者の一文を掲載していただいた。そこでは、黒崎作品に目立って出現した形象のうち「耳(耳介と内耳構造)」と「階段」についての一考察を述べたのだが、紙幅の関係もあって、<耳(耳介と内耳構造)>についての記述が主となり、他の身体部分を想起させる図像への言及がかなわず、また、1970年前後の作品に頻出した<階段>から読みとれる隠喩についてもやや舌足らずに終っていたことが心残りだった。折しも、今回ギャルリー宮脇からその追補の機会を与えていただくことになったので、とり急ぎ筆を進めたい。

黒崎彰, くろさきあきら, Akira Kurosaki 黒崎彰, くろさきあきら, Akira Kurosaki  まず「階段」について前稿では、絵画平面に描かれた階段に人物が描かれていなくとも、それを上下する身体運動に伴う時間性、空間性、あるいは音階への類推が許されれば音楽性など、様々な要素を想起させられる構造物であることを述べたが、黒崎作品の階段をよく観ると、その多くは漆黒の空間に浮遊したり、沈んでいたりする赤い立方体の中に収まっている。その階段はすべて斜方から描かれていて、一段一段は明確。そして作品によって、上方あるいは下方のどちらかの数段に光が当てられて鑑賞者の視線もそれに従って上か下かに誘導される。そこでまず、階段上方に明度が高い作品中に配置されている図像を見ると1970年発表の「赤い闇1」「赤い闇2」および「闇のコンポジションA」のように、上を向いた豊かな乳房を思わせる形象が見い出され、<生者の世界>への階段であることに気付かされる。一方、階段下方に高い明度が与えられている1969年発表の「寓話」シリーズ74、75、76の作品では、その階段を下りた地下では亡霊めいた流浪する人影に出会う。そこは<死者の世界>なのだ。こうした眼で黒崎作品中の階段を眺めるとエロスとタナトスへの道しるべ役を果たしているように思える。

黒崎彰, くろさきあきら, Akira Kurosaki   次に注目したいのは、指紋拡大図の木版画化だ。指紋はもとより指頭腹側皮膚にある個々人固有の微細な皺がつくる紋様のことなのだが、犯罪捜査上、DNA鑑定とともに今なお犯人の遺した痕跡として重要な資料となることはよく知られている。そんなことから指紋には少々暗い陰影を感じることもあるが、一方では公文書などに本人であることを証明するのにも、指紋を含む指頭が拇印として日常生活に至便をもたらすこともあるのだ。また、よく考えると、拇印とは、指頭皮膚表面の微細な凹凸によって形成された指紋を朱によって紙上に転写するという行為であって、版画とは血縁関係にあることに気付く。黒崎氏の意識の中にもそのことが、何かの機会に浮上して来たに違いない。そのあたりの事情についてふれた黒崎氏のコメントは残っていないので今となっては類推にゆだねるほかなかろう。

  指紋の多様性が個人の特定に用いるほどなので千差万別なのだが大まかには次のような三群に分別されている。すわわち、渦状紋、弓状紋(山形のもの)、蹄状紋(流れているもの)である。黒崎作品にはこのうち力強く渦を巻く指紋が多用されている。渦という形態は複数の激しい流動体が干渉し合うことによって生じる現象であり、レオナルド・ダ・ヴィンチも魔力を秘めた水の表情として渦の優れた素描を残していることが思い出される。求心的な中心に眼をこらすと運命までが吸い寄せられるような不思議な感覚にとらわれる。

黒崎彰, くろさきあきら, Akira Kurosaki   指紋を主題として取り込んだ作品は1987年から翌88年にわたって集中的に発表されたが、最初の作品には「しるし曼荼羅」との題名が付されている。指紋はまさに一個人のしるしにふさわしい存在。左右の指を胸の前で組み合わせて祈りの姿をとるならば、十指・十種類の指紋=しるしが曼荼羅図のように蝟集することが想像出来るのだ。黒崎氏は美術を志した頃、カトリックに入信したが、晩年には佛教に回帰されたとのこと。氏の活動範囲が世界的な広がりを持つにつれ、逆に日本の作家として自然の多様性に眼を開き、文化、思想、宗教においても東洋の多中心的な有りようの豊かさを再発見することになったのではあるまいか。

  それはさておき、指紋シリーズに付随する作品として、指そのものをクローズ・アップしたような図像を、指紋の図像に組み合わせた「アンフォルタス」や「王の夢」(共に1988年作)のような作品があることも記憶にとどめておくべきだろう。指の機能は木版画家にとってことさら重要であり、指への敬意の顕れでもあろう。ただし、この2点の<指>に見える図像は色彩を添えるとともに表面に物質性を感じさせるために版画の上に柿渋を流して生まれた図像なのだというのが事実らしいが、それを<指>と見せる確信犯的な技法の応用には舌を巻くものがある。

  芸術表現の意義を一言で言い切ることは困難だが、この世に生命を持って存在し得た自己を外在化し、分身を永く世に残したいという欲求を満たそうとする営為だと言えないだろうか。黒崎彰という芸術家も、それに専心し、様々な分身たちを遺された。その全容を読み解くのにはまだまだ時間を必要としそうだ。


馬場駿吉(ばば・しゅんきち)1932年生まれ。名古屋市生まれ。俳人。現代芸術評論家。芸術批評誌「REAR」編集同人。名古屋市立大学名誉教授(耳鼻咽喉科学)。日本耳鼻咽喉科学会名誉会員。元名古屋ボストン美術館館長。愛知県立芸術大学油画専攻科客員教授も務めた。長年の芸術評論活動により2019年中日文化賞受賞。近著に『加納光於とともに』(2015、書肆山田)、『意味の彼方へ 荒川修作に寄り添って』(2016、書肆山田)などがある。