| 柄澤齊(からさわひとし Hitoshi KARASAWA)は、1950年栃木県日光市生まれ。70年日和崎尊夫の木口木版画と出会い、氏に師事し、親交を深める。1975年初個展。以来版画の歴史や概念に対する鋭いまなざしをもって独自の世界を構築。木口木版を創造活動の基軸に、オリジナル版画集、詩画集、装丁、コラージュ、オブジェ、絵画などへ表現領域を開いてきた。2006年二つの本格的な回顧展「宙空の輪舞」(栃木県立美術館)と「イメージの迷宮に棲む」(神奈川県立近代美術館鎌倉館)を開催。14年「ノスタルジー&ファンタジー現代美術の想像力とその源泉」(国立国際美術館)。16年「森羅万象を刻むデューラーから柄澤齊へ」、19年「THE BODY身体の宇宙」(共に町田市立国際版画美術館)。20年「共鳴する刻(しるし)木口木版画の現在地」(CCGA現代グラフィックアートセンター)ほか美術館企画展出品多数。 |
そして、柄澤齊の肖像画の数々もまた、意識するとしないにかかわらず、いみじくもこのニーチェの思想と深いところで共振しているように、わたしには思われる。柄澤は、あえて過去の画家たちが描いてきた自画像や肖像画を借りてきて、それに巧みな変化を加えながら、モデルの真実に迫ろうと試みる。こうして、オリジナルとコピー、真実と虚構、真顔と仮面、内面と外面という近代主義的な二元論が、柄澤の肖像画のなかで見事に脱構築されていくのだ。
ミケランジェロの顔つまり仮面は、硬い石の塊から切り出されたままのごつごつとした姿で、その破片とともに宙に浮かんでいる。この天才は、大理石のなかに密かに眠っている理想の形(イデア)を、石を削ることで解き放ってやることこそが彫刻という芸術に他ならない、という信念に突き動かされていたのだが、柄澤の肖像画はまさにこの信念を表現しているのだ。
それはあたかも、24歳という若さで逝ったこの詩人が、自己の同一化にたどり着けなかったことを暗示するかのようでもある(とはいえやはりラカンによれば、わたしたちは誰でも、鏡のなかの自分と一致することはできないのだが)。|
1981年から意中の人物の肖像を版画にして40年、今年50作に達しました。 美術家や文学者を多く取り上げたのはその方面に関心があるからにほかなりませんが、なかには伝説上の人物や芝居のキャラクターもいれば、絵画のなかの人物もいます。 50作すべて客観的人物像を目指したわけではなく、取り上げた人物の作品や逸話など、作者が恣意的に読み込んだ要素を加え、版画ならではの主観的肖像を工夫するように心がけてきました。 いつしか「肖像シリーズ」と呼ばれ、拙作の代名詞ともなった作品の多くはエディションを刷り切って絶版となっていますが、版の多くはまだ生きています。 今回、絶版作品に限ってエディションとして発表したものとは異なる刷りを試み、あるものは手彩を加え、シリーズ全点を展示する50作到達記念の個展を開きます。 目で読むテキストとしての「肖像シリーズ」と新たな試みから、さらに見えてくる奥行きと広がりがあると確信しています。 |