「齊藤彩、彼女の絵画は原初の喜びの歌なのか」
仲野泰生

 「縄文人は歌いたいときに歌い、踊りたいときに踊ったに違いない。」と岡本太郎は言った。今の日本の社会では、誰でも簡単には縄文人にはなれない。日本社会は高度に職能が細分化され、専門化され、管理されている社会だからだ。縄文人のような自由な振る舞いは、子どもの頃のみ許されているのかもしれない。子どもの頃のように「絵を描きたい時に、好きなように自由に描くこと」これも今の日本では難しいかもしれない。それはアートの世界でも同様だろう。齊藤彩は子どもの時の「絵を描く喜び」「絵画の始原性」あるいは「絵画の原初性」を持ち続けている稀有なアーティストだと思う。しかし、子どものような絵画を現在も描き続けていると言っているのではない。「アール・ブリュット」の本来の意味が「原初の状態」あるいは「未加工の状態」ならば、齊藤の場合はどうだろうか?という問い掛けを持ちながらこの小文を書いている。
 齊藤彩は女子美術大学で学んだ。日本の美術教育によって加工されたような経歴だ。卒業後いくつかの公募展の入賞やドイツでのアーティスト・イン・レジデンス・プログラム等で注目を浴びるが、現在まで彼女は二足の草鞋を履く生活を送っている。二つの草鞋というのは、普通に仕事をして日常生活を送る生活と、絵画制作にのめり込む生活だ。齊藤の日常は仕事から帰り、食事して寝るという至極当たり前のもので、時々朝に制作したりもするという。また帰宅後時間があれば絵が描けるというものではない。何故なら絵を描くという時間は、日常の時間から非日常の時間に転換することが必要なのである。日常から非日常への転換。
 齊藤は仕事の行き帰りによく歩く。また休日には散歩もする。歩く行為は周りの景色、世界を体感・交感することだ。そして齊藤はアトリエに入ると大きなロール紙を好みの大きさで切断。その紙をテープで壁に止める。或いはキャンバスを張り、壁に掛け、彼女は描き始める。油絵の具をチューブから絞り出し、体ごと画面に向かっていく。支持体が紙とキャンバスでは現れる世界も違うように思う。指や筆で画面を縦走させる。点や線の痕跡がやがて塊や面となり一つの世界を紡ぎだす。未明のイメージが形象として生まれ出てくる。時にその形象が顔になり人になり、時に植物になる。たぶん齊藤は散歩や仕事などの日常の生活の中で、自分の無意識の層の積み重なったイメージ・記憶などを、描くという身体所作を通して画面に表出していくのだろう。時に多彩な色彩の油絵の具で大胆に描く。また時に鉛筆やペンで繊細な色調で形象を現出していく。
 齊藤の制作中の映像を拝見したとき、私は映像人類学者ジャン・ルーシュが撮影したシャーマンが踊りながらトランス状態になり、神や自然や祖霊と交信する映像を思い浮かべた。齊藤にとって描くこととは、単なる快楽原則の行為ではなく、彼女は生きていくため、必然としての制作というトランス状態に没入していくのではないかと思うのだ。精神医学で「遊戯療法」を研究実践してきた山中康裕は、障害者アートの作品と作家の作品の違いを次のように述べている。「心の落差を大変な思いをして下りていき、自分の源泉の水を汲んでくる。それが作家の作品だと思います。ところが知的障碍者たちは、すでにその水辺に居る人なのです。」齊藤は描くという行為の中で、自分の中の源泉の水を汲みに行っているのだ。私たちはその行為の痕跡、あるいは結果としての作品を「原初の喜びの歌」として目撃するのかもしれない。

2022年6月記(なかの・やすお 京都場館長、元川崎市岡本太郎美術館学芸員)

本文は、2021年7月のArt Osaka 2021(大阪市中央公会堂)でのギャルリー宮脇出展ブースにおける齊藤彩個展のリーフレットのために執筆された。

齊藤彩の紹介ページには作品カタログと神保京子(東京都庭園美術館学芸員)の寄稿を掲載している。