日本回帰のシュルレアリスト日本美術史上屈指のシュルレアリスム絵画代表作を生んだ小牧源太郎。仏画的時代を経て 小牧源太郎はいわゆる通例的な画家としての修練は積んでいない。1933年、27歳の時に 小牧源太郎は、見えるもの、見たものを描く画家ではない。突飛かつ極めて理論的に体系 ギャルリー宮脇では、生涯京都で制作をつづけた小牧源太郎の地元画廊として度々重要な |
![]() 小牧源太郎目次 同一ページ内下部の各見出し へリンクしています。 ◆ ギャラリー ◆ ◆ 画 歴 ◆ インタビュー 非合理の美学 ― 私の絵画論 ◆ デケメンと胎内空想 ◆ ◆ シルエットについて ◆ ◆ 宗教性について ◆ |
![]() 「猟人日記」3号 1955年 |
![]() 「いろは No.5」SM 1965年 |
![]() 「景観 No.7」3号 1969年 |
![]() 「観 No.1」6号 1973年 |
![]() 「パット・パルマ No.7」4号 1983年 |
![]() 「エクスーデ」8号 1986年 |
![]() 「ラブラブミイミイ No.5」SM 1987年 |
![]() 「クンフト No.1」SM 1989年 |
非合理の美学〜私の絵画論 その1「デケメンと胎内空想」 聞き手:宮脇一郎(M) ギャルリー宮脇発行『螺旋階段』第15号 (1980年4月刊) より転載 M 前の『螺旋階段』13号に掲載の「生と負の系譜」に、先生の生い立ちいついてお書きになっていますが、小さいときから妄想癖、 特に巨母空想・体内空想を妄想したとか、強迫観念にとり憑かれていたとかいうのがありましたね、私は、その辺の先生の特異な少年期の話に とても興味を覚えました。というのは、その後、先生が絵を志されてから今日迄、作画の根底に常にそういうものが尾を引いていて、それを後年、 先生はシュールレアリスムの理論と合体させて結実された訳ですが、シュールレアリスト小牧源太郎の世界を語る時、その幼少の体験は重要な 意味を持っていると思われます。そこで今日は、その辺のところ、お聞きしたいのですが・・・・・。 小牧源太郎 そうですね、私の生い立ちについては『美術ジャーナル』(1963年4月号)か『螺旋階段』
13号を見ていただければ載っていますが、その中で特に重要なことというと、私は6歳の頃、大病にかかりましてね、今でいうと急性肺炎なんですが、
それが治った後、私の体に奇妙な現象が起こったんです。つまり小学校2年生の頃には、現在と同じ身長になっていた。私の身長は5尺程なんですが、
しかし、8〜9歳でその身長というのは正に巨体ですよね、それと同時に私の肉体にいろいろな変化が起こって、つまり一人前の男性になっちゃった。
例えば、こんなこと言っていいかどうかわからんけれども、陰毛がはえちゃったんですね。これには、私の兄貴がびっくりしたようですね。(笑)まあ、
現在ならば、脳下垂体から成長を促すホルモンが異状に分泌されたというようなちゃんとした医学的な説明がつくんだけれど、当時としてはまさに怪童で、
村の人たちから「源太郎さんの肋骨は、一枚板でできている」という噂がとびましてね、それほど強大なんだと、村人の異常な関心が集まったことが
あるんです。 M そういう妄想はいつ頃まで続いたんですか? 小牧源太郎 そうですね。大病後から小学校低学年頃迄ですね。高学年になると、この妄想が将来の未来と結びついて、 大哲学者、大宗教家、大画家など、そういう人間になりたいというような誇大妄想に発展しだしたんです。そして、青年期、つまり学生時代は、所謂、 無頼派的生活で、一種のデカダンスですね、29歳で絵をやる前の私の生活は、第三者からみても、非常に不安定なものだった。左翼思想に接近したり、 宗教や哲学関係の本を読み耽ったり・・・・・母はこの私のデカダンな生活を心配して・・・・・、母の尽力で結婚が実現したんです。昭和13年、32歳の時です。 M 巨母空想について、もっと詳しくお聞きしたいんですいが、巨母とは一体どういうものなんでしょうか? 小牧源太郎 巨母とは、一首の超越的な女性のことになりますね。観音さんも一種それに相当する。観音が女性かどうか わからないけれど、あれは中性なんでしょう、けれど女性的なもの、そういう印象でとらえている。マリア観音などと言いますね、マリアなども一種の 巨母とちがうんでしょうか、ともかく普遍的な巨大な力を持った女性ですね、巨母というよりも資母といった方がいいのじゃないかな、つまり資本主義の資、 これはものを生み出す、巨大なものという意味です。 M 資母空想、巨母空想が絵のモチーフに現れているものとしては、具体的にどういうものがありますか? 小牧源太郎 強いていえば、「狐神図」がそれですね。戦後、稲荷さんを描き始めたのが1947年頃のことです。 「伽楼羅炎」を10Fと15Fの2点描いている。これは、戦後の出発になった作品で、その後、稲荷をやりだした。その一連の作品の四作目が 「狐神図」なんです。話をもとにもどしましょう。稲荷は農業の神で、その召使、使者として狐がでてくる。狐はあくまでメッセンジャーなんです。 ところが、一般には稲荷というとすぐ狐を連想するし、ともすると狐が祀ってあるという風にとられている。しかし、私はむしろそういう意味の狐に 興味をもったんです。稲荷さんの系譜の中で狐を描いたんだけど、それは巨母的な狐なんです。その目は私の家内に似ている、稲荷と狐と巨母が コムプレックスしたかたちで「狐神図」に登場した訳です。 M このお稲荷さんや狐は、前に出て来た原始信仰的なものと関係がありますか? 小牧源太郎 大いにありますよ。結局、私が今まで好んで扱ったもの、描いたものは、いわゆる原始信仰的なものなんです。 つまり、高度な宗教ではなく習俗化した宗教ですね、いわゆる民間宗教というか、土俗信仰というか、そういう世界に戦後は関心をもっていったんです。 どうしてかというと、人間の欲望というか本能をば、ああいう形で充足するという意味で信仰がおこなわれている訳なんです。いわゆる現世利益ですね。 つまり高度な宗教はそういうものではないわけで、例えば仏教などは、形而上的な高度な理念をもっている訳だけれど、現実の仏教の姿は結局現世利益の 方面が行なわれているんです。こういう面の宗教、民間信仰とか、土俗信仰といわれているもの、或いは、戦後急増した所謂新興宗教の多くのものなどを 総括して、私は劣性宗教と名付けているんです。こういう劣勢宗教の方に生きた民衆の息吹があり、そこにむしろ宗教の、或いは人間の本音があると 考えているんです。で、それらのモチーフとして描いた時代を「民俗学的時代」とよんでいますが、これはむしろ「土俗的時代」といった方が的確ですね。 M 素朴な民衆の潜在意識の中にある願望、欲望、それがもっともストレートなかたちでできたものが民間宗教だといえますね。ですから、 日本人の潜在意識を探る場合、その辺に着目されたというのは、確かに面白いですね、もし、先生が画家でなく、宗教家になっておられたらさだめし デケメン教の教祖様というところでしょうなァ。(笑) 小牧源太郎 そうですね、民衆の無意識を掌握しておれば、教祖としても大成功しとったと思いますよ、ウン(笑) M しかし、小さい頃、巨母を妄想されたり「デケメン」を唱えて精神を安定させたというような経験が、その後、先生に無意識の問題 へと導いていったように思えますね、そういう意味で、先生は生まれながらのシュールレアリストだと思うんですよ。ところで、先生は前に胎内空想と 巨母空想の関係についてお話しいただきたいんですが。 小牧源太郎 巨母空想において、カンガルーのように抱かれて乳を吸っていたというようなことを前に言いましたが、 これも一種の胎内空想なんです。これは精神分析でいう言葉なんですが、胎児が母の胎内、つまり羊水の中に居る状態は至上至福のユートピアだと いうわけです、仏教でいう極楽浄土ですね。蓮華の上に結跏趺坐(けっかふざ)している状態です。これは私の巨母空想、カンガルーのように抱かれて 優しく愛撫されていたというのと一致するんです。私は1939年に「生誕譜」という一連の作品を3点描いているんですが、これは所謂、胎内空想の 具体的な絵画化です、こういう風な穴みたいなところに、胎児を描いている、この中央の輪が女性性器の象徴なんです。 M この絵にシルエット、影絵がでてきますが、このシルエットと巨母空想を結びつけた意図は何かあるんですか。 小牧源太郎 特別にはないです。 M しかし、このディテイルを表現しないシルエットは、造形的には非常に抽象的ですし、又、非常に 暗示的で、作品に、ぐっと 神秘性がでてきますね。 小牧源太郎 そうですかねぇ。私はある時期、外遊(1957年)の前あたり、シルエットを使った絵を多く描いています。 「影絵日記」「猟人日記」「敗喪」などは全面的にシルエットだけになっている。少し影絵について話をしますとね、戦前「かぐや姫」の映画が あったんです、これは影絵を使った作品で、モチーフからいっても幻想的なんだけれど、とても幻想性豊だったんですね。ジャワの人形劇も影絵に よるものだし、これも大変幻想的なものですね。しかし、影絵であっても、やはり具体的な形のシルエットであるから、一つのひち限定されたものなんで、 細部(リンカク)を刻明に描けば描くほど限定されてくる。けれど、中は黒一色なので観る人はいくらでも、自由にイメージをふくらませることが できる訳なんです。水墨の世界もそれと同じ論理ですね。 M 前の『螺旋階段』で中原佑介氏がシルエットについて書かれていますが・・・・・。 小牧源太郎 今迄私についていろいろな方が意見されたり文章を書いて下さったが、この点については、まだ誰も 言及されていない。これについて中原さんが特に言及されたというのは私のとって意味のあることだと思うんです。しかし私は昔からシルエットに ついて興味をもっていて、資料を集めたり、精神分析の問題とからめて見てきたんですが、これを契機に、シルエットについて私自身の自覚的な 意味において考えていきたいと思っておるんですがね。 M シルエットの問題は又機会を改めてじっくり伺うことにして・・・・・胎内空想についてもう少しお話しいただけますか。 小牧源太郎 そうですね。私の戦前の記念碑的作品である「民族系譜学」(1937年)も胎内空想を描いているんです。
あれは、画面全体を海底、あるいは湖水という風に考えてもいいんですが、私自身のつもりでは、下のほうに岩石があって、全体が水中ですね、
これは明らかに羊水で、そこに胎児が浮遊している。又、時代的には支那事変が勃発し、私はこれを民族戦争の面から捉えたんですが、それに
精神分析的意味での胎内空想が重ったんです。この中央の昆虫のようなものはセミの臓物で、ひきちぎられた人間のイメージとだぶっている、
下のカマキリは交尾しながら雌が雄を喰っていく残忍さの象徴です。そしてこのからみあった紐は系譜学を意味していて、この胎内空間の中に
破壊と生誕を渾融させたんです。しかし世の中は大戦へ大戦へと向かっておったにもかかわらず、比較的自由な雰囲気がありましてねぇ、
「うちの女房にゃ髭がある」なんて、ナンセンスソングが流行ったりね・・・・・。いわゆる帝国主義的侵略の優勢に湧きたっていたというか・・・・・
しかし現実には応召も始まっていて残された近所の若奥さんが一日泣いているような時代でしたよ。そんな中で、私にはこんなグロテスクな、
死の不安と恐怖のイメージしか浮かんでこなかったんです。
M なるほどね、その金胎という観念を更におし進められて、それが先生の新しい発想のもととなることを期待しています。 その1おわり ページ内ジャンプ ページ冒頭 画歴 1.「デケメンと胎内空想」冒頭 3.「宗教性について」 |
非合理の美学〜私の絵画論 その2「シルエット(影絵) について」 聞き手:宮脇一郎(M) ギャルリー宮脇発行『螺旋階段』第16号 (1980年10月刊) より転載 M 1938年に「生誕譜」をはじめとして、先生の絵にはたびたび影絵が登場しますが、今日は小牧先生の影絵についてお話しを 伺いたいと思います。 小牧源太郎 私はわや戦前から戦中にかけてシュールなものをやり始めた頃から、既に影絵を描いているんです。 特に1955年から56年の一年間は、影絵だけを描いていて、例えば「敗喪」とか「夜鳥」「アクヒ鳥」「礫付けになった馬神」とか・・・・・ それ以後も必要に応じてでてくる。しかし、自覚的に自分にとっての影絵の意味とか性質については今迄考えていなかったんで、今回中原佑介さんの 文章を契機に、私らしい考え方で分析してみた訳です。だからそれが妥当かどうかわからないが、そういう前提のもとに話をしたい。 前にも言いましたが、私は幼年時、小学校時代、哲学者と画家と宗教家と、この三つのものに非常に憧れていたんですが、その中の哲学への志向が、 影絵と結びついているのではないかと思うんです。 M といいますと・・・・・。 小牧源太郎 つまり、私は小さい頃から夢想妄想癖があって、いまでも現象の諸々の事柄より、現実を超えたところの、 形而上のものについての関心が非常に強い。だから私が絵を描く場合も、具体的な形をとるモティーフより、影絵のような暗示的で、何か決定性を かいた映像が、感覚的にピタッとくるんですね。 M もう少し具体的に・・・・・。 小牧源太郎 私は自分の絵を一種の観念画だと考えています。曼陀羅のように仏教美術は全て、宇宙の真理を図式的に 象徴的に表現していて、現象や自然の風物をそのまま描いているのではなく、観念の比重が非常に高い訳です。観念自体は抽象的で無形のものだから、 それを絵画で表現するとなると、どうしても何らかの形象とか色彩が必要で、現象的なものが媒体となりますが・・・・・そういう意味で私の絵は曼陀羅に 非常に近い、いわゆる観念画なんです。ちょっと話は飛躍するかもしれないが、この観念について西洋哲学ではどう説明しているかというと、それに ついて「影」という言葉がでてくるんです。プラトンによると「イデア、つまり理念だけが唯一の実在で、従って、現象界個々のものは、イデアの影像 である」と言っている。しかし、私の考え方でいえば、「現象界の方が実在であって、イデアはその影だ」ということになる。私は、現象があくまで 先にあって、そこからいろいろな観念が派生するんだから、観念の世界は、やはり影の王国ではないかと思う。そして私には、このかげの部分、 形而上的世界の方が重要なんです。 M すると小牧先生は、ある観念を絵画化する際、シルエットを使って形象化し、「観念は現象の影だ」という理論を作画の上で 実践された訳ですね。 小牧源太郎 そういうことになるかなぁ・・・・・しかし最初から意識してやったという訳じゃなくて、結果的にそうなった ということです・・・・・。 M つまり先生の影は、ちょっと立場は違うけれど、キリコなどの、形而上的形態として使われている・・・・・。 小牧源太郎 まあ、大別すればそう言うことができますね。しかし、キリコはあくまで具体的な形をとるけれど、 私の絵はもっと図式的・図像的なものをねらっている・・・・・ M そういう意味でシルエット、つまりディテールをはぶいた平面的な造形性に興味をもたれた訳ですか? 小牧源太郎 そうです。最初は「かぐや姫」劇画を見て、影絵のもつ、抽象的で神秘的な効果を、面白いと思ったんです。 シルエットの造形に対する私の考え方は、1954年の第一回美術文化展の目録に「二次元の幻想性」というテーマで書いているんですが・・・・・つまり、 形態の二次元的抽象化による単彩性、墨絵的な表出は、観るものに限りない幻想性を与える。この墨絵的抽象は、超現実の世界にも通じるんです。 つまり、無意識下で起こる自由な連想、想像はむしろ二次元的「かたち」をとる可能性が多い。 M ミロのオートマティズムなんかがそうですね、しかし、先生の影はオートマティックなものではなしに、ある観念が凝縮された 「かたち」な訳でしょう。 小牧源太郎 ちょっと話は変わりますが、北脇昇さんが私の絵を仮具象という言葉で表現している。これは非常に 適切な表現だと思う。具象でもない、かという抽象でもないという意味で・・・・・そういう意味で影絵も非常に仮具象的なんです。だから僕の場合は、 影絵的なものがでてくるのは非常に自然なわけなんで、また、私の表現形式そのものがシルエット的だと言っておかしくない。 M 具体的な作品を通して説明してもらえますか・・・・・例えば、「生誕譜」にみる影の意味は・・・・・。 小牧源太郎 そうですね、具体的にというと難しいな・・・・・描く場合は多分に直感的なんですよ、そこらへんは、 観る人が自由に連想してもらったらいい訳で・・・・・。 M 私はこの絵をみて、これには先生の深層心理が、先生も気付いておられない無意識の世界が非常に欲でているんじゃないかと 思いますよ・・・・・。つまり生誕の神秘、子宮の奥で起こる生殖の神秘に分け入りたいという先生の欲求がここにはでてると思いますね。ここに 出てくる影は先生自身じゃないですか。 小牧源太郎 さあどうでしょうか・・・・・しかし、さっきも言ったように、無意識と影という問題、これは大いに関係がある。 それについてちょっと話をするとね・・・・・『浮世絵の幽霊』という本の中に、「影曼陀羅の神々たち」というのがでてくる。この神々というのは、 妖怪、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のことで、これはつまり影の世界だというんですね。言い換えれば、来れは深層心理の世界だと・・・・・。 昔の人が幽霊をみたという場合、本当に外部に幽霊が存在すると信じていて、「見た」と言っている訳ですが、現代の人間は頭で信じていないくせに 見たという場合、幽霊を自分自身の中でつくっておいて、それに気づかないでいる。要するに自分自身の投影、独り芝居をしている訳ですよ。 影なんか無意識の世界ともいえるし、夢も影の世界だといえる。夢の場合、夢の中では行動していても、実際本人は動いていない。肉体そのものは 横たわっている訳だから。ところが夢遊病などは実際に行動するんです。ちょっと余談になりましたが、結局、影絵は意識の深いところに潜在している ものと深いつながりがある。現象の世界は明確な形をとるけれども影はそうではなく、さっきも言った三次元ではなく二次元的な世界、顕在的なもので なしに潜在的なものですね、そういう点が影絵の特性だと思うし、またその辺、面白いと思ったんですね。 M 「影と無意識」これはなかなか面白いテーマですね・・・・・先生の一貫したものの見方、何かものの表面には出ていない、 裏側の秘された部分、潜在的なものを掌握したいという強い欲求、そういうものと、影自体のもつ象徴的イマージュと、抽象的造形とがピタッと 一致した訳ですね。お話しを伺っているうちに、何か先生が影に固執してこられたのがわかったような気がします。 小牧源太郎 何か実在があって影がある・・・・・そうすると影が非常に従属的で軽いものに見えてくる。しかしこの場合、 実体とは物質的世界、現象界といってもいい。とすると影は人間の内部世界のことで、これは一見実在のない希薄なものにみえてくるが、この人間の 内部世界、つまり理念が主体性の基礎になっている。理念が社会を変革し、この物質文明をリードして創った。そう考えると理念は、実体に対して弱い ものではない訳です。またこれは理想とも言いかえられえるし、これはなかなか実現しないむずかしい世界だけれど・・・・・しかし、これがあるからこそ、 現象界の腐敗を正し、論理とか進歩への志向が人間には常にある訳です・・・・・まあ影は軽いか重いかわからないが、ともかく私には内部の追求が絶対的な ものなんです。 M 先生の哲学的思考、精神分析的なもののとらえ方、そして思考的背景、こういうものが裏付けとなって先生の絵画を支えている、 逆にいえばその辺に先生の発想の源泉があるように思いますね。影は小牧先生にとって、実体の従ではなく、影が本質なんですね。 小牧源太郎 そう、つまり理念が私にとっては絶対の本質なんです。この辺プラトンの学説は観念的だから理念が唯一絶対で、 現象は仮象(影)となって価値のないものになっている。ところが僕の場合は、現象があくまで実体であって、観念はそこからでてきたものだと考える訳 だから観念論者とはちがう、プラトンとは正反対なんです。理想としてはプラトンの反対者なんだけれど・・・・・ところが、僕が何をもっとも重んじ、 いかなる観念に支配されているかというと、理念、こればっかりやってきている。つまり、現象よりも理念が優先なんだ。価値があるなしは関係なく・・・・・ 理念は人間の頭脳の中で存在している訳ですが、私の場合はこの理念の追求が絶対的に重要なんで、それを影という言葉で表現すれば、影はあくまで実体の 影であるけれども、僕の場合、この影が非常に重要なんです。 その2おわり ページ内ジャンプ ページ冒頭 画歴 1.「デケメンと胎内空想」 2.「シルエットについて」冒頭小牧源太郎 インタビュー
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