井澤元一 Motoichi Izawa

 

古都・京都が育んだ洋画家

京都の祭を 描きつづけています

京都の町を歩くと どこかで祭の提灯に出くわします

祭は 人の心を なごませ はずませます だれにも

幼い日の なつかしい祭の思い出が うかんできます

祭は 生活の折り節と 四季の心を感じさせます

このような祭をもつわたくしたちは しあわせです

祭をよろこぶ心が 私に 祭を描かせてくれるのです

井澤元一(1983年個展に際して執筆)
井澤 元一
(1909〜1998 Kyoto Motoichi IZAWA)


井澤元一目次
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『古都点描』

略歴と初期作品

三回忌遺作展序説 (2000)

当画廊では井澤元一の
ユニークな油絵を多数常設しています

『古都点描』

 井澤元一画伯は、京都に住み、日本独特の美に強い共感を示し、日常的・民衆的な風物を70年近く描き続けた洋画家です。 平凡な題材を、機知と激しさに富んだ表現力で臨場感豊に描写し、歴史的情景の中に独自のファンタジーを漂わる画風で高い人気を得ています。
 このギャラリーでは、世界的に著名な日本文化研究者ドナルド・キーン氏の京都時代の案内人でもあった井澤元一画伯自身の言葉で、 つづられた京都の情景案内『古都点描』にご案内いたします。どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。 (作者の言葉は、1979年刊の画文集「古都点描」より抜粋)



祇園祭船鉾 油絵(15F )
祇園祭は山鉾の見送りや銅巻、前掛け、上下の水引きが、ヨーロッパや中国から渡来した民族芸術の粋を集めたもので、 いわば古今東西の美術工芸品が都大路を巡行する大移動美術展のようなものである。(中略)
祖先が京都の町衆の力を誇示して、当時としては世界的にも第一級の品を選んだのだから、その意気に負けず、 例えばミロやニコルソンの作品などとり入れてはいかがなものであろう。想像してみても素晴しい祇園祭になると思う。
そもそも祇園祭はそのときどきの時代に生きてきた祭である。(後略)



鞍馬の火祭 油絵(3F )
鞍馬の火祭は、10月22日の夜に行われる由岐神社の、これも勇壮な祭だ。
日の落ちるのが早い山里の夕刻、氏子が町内を走り農家の門先に大松明の炎が立ちのぼる。間もなく大人は5メートル もの大松明をかつぎ、子供たちも手に手に松明をかかげ、「サーイレヤ、サーイリョウ」と奇妙な掛声を出して神社の石段を 駆け上がり、拝殿に突入する。
松明の数は約200本といわれ、まさに乱舞する火の響宴である。(後略)



太秦牛祭 油絵(100F )
大きな牛に、あどけない顔の面をつけ白装束の摩叱羅神(またらじん)が乗って、赤鬼、青鬼二人ずつの四天王を従えて 現われた。(中略)
素朴単調な囃子のテンポが速くなると、摩叱羅神を乗せた牛は地響きをたてて祭壇のまわりを三周駆ける。火は勢いよく燃え、 牛が暴れはしないかと心配になるぐらい囃子は激しい。そこで摩叱羅神は牛から下りて祭文を読み上げるのだが・・・(後略)



時代祭 油絵(SM)
この維新勤皇隊は、明治元年大政が奉還されたとき、東北地方の抗戦に京都府下北桑田郡山国村の農民が山国隊83名を組織して 官軍に馳せ参じ、錦旗を捧持して凱旋した時の姿である。
庶民をも巻き込んだ維新の激動時代を目の前に再現されるようで、尽きない興味をおぼえる。(後略)



馬と禅堂(東福寺) 油絵(30F )
(前略)馬をテーマにした個展を開いたとき、この禅堂の上を白馬が駆けている作品を出品した。個展を見に来られた方が、 座禅を組んでいる人の想念のなかに白馬がかすめて駆け去るという意味の「書」をもっている、と話されていた。 私はそのようなことは知らずに、ただ画家の創意発想によって作画したのだった。この禅堂で座禅する僧と天駆ける白馬とが 重なって浮かんできたからである。(後略)



花を売る白川女 油絵(0号)
さて、京の女といえば、舞妓、大原女、白川女、畑のおばなどが思いつくのだが、いずれも一種のコスチュームをつけた 職業婦人ということになる。私もかなり描いてきたが、京都の一部に残る風俗衣裳が面白くて、ただそのようなコスチュームの 女を描いてきたのに過ぎない。
しかし今では京都の人でさえ、これらの風俗の相違を知っている人は少ない。(後略)



素顔の舞妓 油絵(SM)
昼下がりの祇園町を歩くと、夜とはまたちがった花街の風情があってよいものだ。稽古事の帰りとおぼしい舞妓たちが 三々五々連れだって、下駄の音をカタコト鳴らして通る。素顔に普段着の彼女たちは、だらり帯の夜の姿とは趣が異なり、 表情も生き生きとして屈託がない。(後略)



東寺南大門 油絵(15F )
いつか京都タワーの美観が論議されたとき「とにかく陸の灯台ですよ」といった人があった。 市内のずいぶん遠方からでも白いローソクのような姿が見えるから、いまではすっかり京都の目じるしになってしまった。
この京都タワーがなかった頃、東寺の塔は京都のシンボルだった。なにしろ高さ五十六メートルとわが国最大の五重塔である。(後略) 

作品の詳細、価格、在庫などは上記作品タイトルにてお問い合わせ下さい
E-mail info@galerie-miyawaki.com

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井澤元一 略年譜

特に記載なき個展はすべてギャルリー宮脇にて開催/右図版は初期作品

1909年 京都に生まれる。小学校の頃より絵画に興味を示し、油絵を描きはじめる。
1931年 当時井澤家の主治医の息子であった、30年代日本におけるフォーヴィズムの
    重要作家・里見勝蔵に本格的な手ほどきを受ける。
1932年 第2回独立美術展に初入選(以後47年まで毎年出品)
1933年 独立美術京都研究所が創設され、そこで日本近代洋画の巨匠・須田国太郎に師事。
1942年 第7回京都市展に「古城」で受賞。
1944年 独立美術協会会友  第9回京都市展に「池畔」で受賞。
1945年 第1回京展にて「窓際の南瓜など」で京都新聞社長賞。
1948年 自由美術協会会員(以後63年まで毎年出品)
1949年 朝日新聞社の京都美術懇話会会員
1964年 主体美術協会会員(以後現在まで毎年出品)
1974年 ギャルリー宮脇主催による一連の個展で発表。(「門」「奈良の印象」)
    ドナルド・キーン「日本文学散歩」(週間朝日21回連載)の挿絵を手がける。
1976年 「城」を題材にした個展。 ロベール・ギラン「祇園恋しや」(週間朝日)挿絵。
    「京都風物スケッチ」個展。
1977年 「祭」個展。
1977年 「馬」個展。 ドナルド・キーン「Some Japanese Portraits」(講談社インター
    ナショナル刊)の挿絵。
1979年 画文集「古都点描」(サンブライト出版)を発刊。ギャルリー宮脇、京都丸善、
    四日市白揚美術サロンにて出版記念展。 NHKテレビ放送「京都を描く」出演。
1980年 京都府立文化芸術会館会館10周年記念「京都現代美術工芸作家展」招待出品。
    「新作油絵」個展。
1981年 「京の祭と風物」個展。
1982年 「自選展」(京都朝日画廊)
1983年 紺綬褒章受賞。 「京の祭」個展。
1985年 「京の町屋と西洋館」個展。
1986年 京都府主催「京の四季」展に「太秦牛祭」を招待出品。
1987年 77才喜寿の祝展として「回顧展」を京都府立総合資料館で開催。
    同じく「古都風物」個展。
1990年 「京を描く」個展。
1991年 京都市文化功労者に選ばれる。 
1992年 文化功労者受賞記念「画業60年の歩み」展開催。
1995年 「祇園祭」個展。
1998年 8月 死去。

京都府立資料館、京都市美術館、京都府文化博物館、京都市役所などに作品収蔵。
没後もギャルリー宮脇では、「祇園祭」「葵祭」「干支の馬年」など・・・
折々井澤元一の作品展を開催している。
独立美術時代1932〜1948
黒崎彰 展覧会2004 「画 室」 40号 1934年 第4回独立展出品作
黒崎彰 展覧会2001
「窓際の南瓜など」 40号 1945年 第1回京展京都新聞社長賞受賞作


自由美術時代1949〜1964
黒崎彰 展覧会1999 「人」 50号 1949年 第13回自由美術展出品作
黒崎彰 展覧会2001 「鉾」 50号 1957年 第21回自由美術展出品作


主体美術時代1965〜1995

黒崎彰 展覧会1999 「人牛と人」 80号 1965年 第1回主体美術展出品作
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『井澤元一遺作展開催にあたって』
ギャルリー宮脇

 長年、当画廊でご紹介して参りました、故井澤元一先生の三回忌を迎えるにあたり、没後初となる遺作展を開催する運びとなりました。本展は、1930年代の貴重な独立美術時代の作品から、大作を含む各年代の代表的作品を出品して、画業の変遷をたどる回顧的内容になります。是非ともこの機会に、多数の遺作をご鑑賞いただき、先生の画業を偲んでいただきたいと思います。

 私が井澤先生のアトリエを初めて訪問したのは、1965年頃であったと記憶しています。その頃に描かれた「三十三間堂南大門」の絵に魅了された私は、当地にギャルリー宮脇を開廊した翌年の1974年に、「門」を主題にした珍しい内容の個展を開催し、鑑賞者、美術関係者に大きなインパクトを与えました。
 このように一つの画題に執着した制作発表で、この画家の個性が最大に引き出されると感じた私は、互いに提案し合いながら、その後も次々と新しいテーマによる個展を開催しました。先生は私より20余年も年上で、父親のようでもありましたが、人間同志の共感が新しいアイデアを生み、優れた芸術を創造させるのだと思いながら、画家と画商を超えた、美の仲介者としての理想を実感することができました。
 こうした連続企画は、1985年の「京都の町家と西洋館」というテーマの個展までほぼ毎年続きました。その間、週刊朝日に連載されたドナルド・キーンの「日本文学散歩」やロベール・ギランの「祇園恋しや」といった、外国人文筆者による日本文学随筆や京都慕情のような挿絵取材もあり、日本人でないと描けない日本の美、さらに京都人でないと描けない京都の美を描くことに、どんどんのめり込んでいかれた様子で、1983年に開催した「京の祭」を主題にした個展は、まさにその集大成と言える、精神的な深みに達した内容になりました。しかしながら、井澤先生の作品におけるこうした精神性は、10年に渡る当画廊を中心とした発表活動を通して、新たに見い出されたものというわけではありません。ドナルド・キーン氏が「門の展覧会に続き今度の城の個展は、日本の美に捧げた一生のもう一つの結晶であり、私たちの眼を喜ばしてくれる」と評したように、1976年の「城」展、あるいは最初の「門」の個展において、既に日本回帰の異色の洋画家としての特色は顕著に現われていました。
 今思えば、「門」「馬」といった一見平凡と思われる主題に絞った作品による個展では、構成が類型的に陥る危険性もあったはずです。しかし、井澤先生は、そうしたテーマの個展のために40点近い作品を出品しても、決してありきたりな内容にならず、京都に生れ育った者にしか描き表わすことのできない、時空を超えた心象に基づくユーモアとペーソスを漂わた多様なイメージを創造し、独特のファンタジーの世界を無限に展開させていかれました。
 井澤先生のその恵まれた画才は、「祭」のような、具象的で俗なテーマを、いわば形而上学的主題として扱うことで、本領を発揮します。それは具象絵画でありながら、「京の風物」という、極めて特異な創造領域の開拓であり、井澤先生はそこを深く追求することによって、自己の芸術世界を確立した、京都にしか生まれ得ない稀有の洋画家であると言えましょう。
 先生の愛した実風景も、近年次々と姿を消しており、いつしか、作品の中にだけ残された歴史的情景が、ますます貴重な意味合いを持って鑑賞されることになりそうです。「今のうちに描きとどめておかないと…」と、晩年よく言っておられた先生の言葉が、今になって本当に偲ばれます。

 最後に本展の開催のために、貴重な遺作を出品して下さったご遺族、そして遺作集の刊行にあたって、上平貢先生と長男の井澤猛氏に玉稿をいただきましたこと、ここに厚くお礼申し上げます。

宮脇一郎(ギャルリー宮脇代表)

※本文は『井澤元一遺作集』に掲載したものをそのまま転載しました。
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