「西脇直毅の世界 オブセッションとユーモア」
建畠 晢

 西脇直毅の作品は、ふくよかなファンタジーにあふれ、またどことなくユーモラスな気配をも宿した、彼ならではのチャーミングな空間を織りなしているが、同時に無限に増殖していくような不穏なエネルギーと常同反復のオブセッションを感じさせずにはおかない、きわめて鮮烈なインパクトをはらんだ世界であるともいうべきであろう。この画家の魅力は実のところ、こうした二つの側面が共存しているところにこそあるのである。

 西脇の技法は基本的にはボールペンによる緻密な線描であり、近づかなければ見分けられないほどの微細なパターンが無限に反復され、全紙大の画面を埋め尽くしている。主なパターンには二種類あって、一つは作者が「ねこ文尽くし」と称するキャラクター化されたネコのイメージで、画面全体にびっしりと隙間なく増殖的に描き込まれていく。一見、中心のないオールオヴァーな画面のようだが、よく見ると中央部に最初に描かれたネコがおり、そこから外側へと広がるように連綿と描き続けられていったことがわかる。ねこ文のところどころに魚や象やキリンのような愛すべき動物が紛れ込んでいるのは、単調な作業のさなかにこっそりと装填されたこの画家らしい茶目っ気というべきかもしれない。

 もう一つのパターンは編み縄のような文様で、これも螺旋状に増殖するイメージが、植物が葉を広げるように次々に茎から分岐し、あちこちに大小の渦巻を出現させている。呪物的ともいえる生命感をはらんだ空間を生起させる特異な力をもった線描であって、相互に絡み合いながらはてしなく連続的に展開していく点では一種アラベスク的な植物文様ともいえなくもない。

 ボールペンは当初は黒一色だけが用いられていたが、一年ほど前からは赤、黄、緑、青などのカラフルなイメージが描かれるようになり、それとともに構図は必ずしもオールオヴァーではなくなり、「ねこ文尽くし」と「縄目」の二つのパターンを混在させた画面も多く試みられるようになっている。

 華やかな色彩は、しかし面として塗られるのではなく、あくまでもボールペンの線描の集積として立ち現れるから、色調には点描派の作品にも似た独特の淡く柔和な感触があり、従来の作品とは異なった彼のファンタジーのデリケートな優しさを私たちに印象付けずにはおくまい。

 西脇の作品はすべて、ただひたすらなる反復と増殖というオブセッショナルな原理から成り立っているが、尋常ではない持続力を要するであろう、その機械的な営為から、かくも多彩なるヴァリエーションが次々と生み出され続けていることに、私は改めて大いなるオマージュを捧げておきたい。すでにコンクール展での受賞を重ねている西脇直毅だが、初めての個展となる今回の会場で、多くの方々が優れたコロリストでもある彼の作品の豊饒さに深く魅せられることになるに違いない。

2016年3月記(たてはた・あきら 美術評論家、多摩美術大学学長)

本文は、2016年4月の京都・ギャルリー宮脇における西脇直毅の初個展「オブセッションとユーモア」のために執筆され、展覧会パンフレット『螺旋階段』第104号に掲載された。

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