鴻池朋子 Tomoko Konoike  at ギャルリー宮脇 in 京都

鴻池朋子, Tomoko Konoike, こうのいけともこ 鴻池朋子, Tomoko Konoike, こうのいけともこ
鴻池朋子は1960年秋田県生まれ、東京藝術大学日本画専攻卒業。玩具と雑貨のデザインに携わった後、1998年から多様なメディアを用いた壮大なインスタレーションを国内外で発表。パブリックアートの制作も行う。近年の国内展に、個展「根源的暴力」(15〜16年神奈川県民ホールギャラリー、群馬県立近代美術館、新潟県立万代島美術館)、奥能登国際芸術祭(17年)、個展「ハンターギャザラー」(18年秋田県立近代美術館)、瀬戸内国際芸術祭(19年)、個展「ちゅうがえり」(20年アーティゾン美術館)など。著書に『みみお』(絵本 01年青幻舎)、『インタートラベラー 死者と遊ぶ人』(09年)、『焚書 World of Wonder』(11年)、『どうぶつのことば〜根源的暴力をこえて』(16年)(以上いずれも羽鳥書店)など。芸術選奨文部科学大臣賞(17年)、毎日芸術賞(20年)を受賞。

鴻池朋子, こうのいけともこ, Tomoko Konoike 鴻池朋子, こうのいけともこ, Tomoko Konoike
特別展示
<はじまり かたち>
鴻池朋子「素焼粘土」を中心に
フォートリエ、ミショー、ミロ、マッタの版画と。

2021年107日〜1030 1PM〜7PM 10月11,17,18,25日休廊
本展は、東日本大震災後の鴻池朋子の創作に大きな変革をもたらした素焼き粘土250点以上を展示の中心に据え、ジャン・フォートリエアンリ・ミショージョアン・ミロロベルト・マッタの版画とともに、イズムや分類、技法など既存の美術用語を参照することを止め、ものづくりの始原へと回帰することによってそれぞれのかたちを生み出したこれら作家たちに通底する造形の道程に思いを馳せる試みです。

「はじまりとかたち」onLINE specials

読む★ いしいしんじ(小説家)が 鴻池朋子「素焼粘土」と出会い を書き下ろしました。<別ページに掲載しました> 2021/10/22
仲野泰生(京都場館長・元川崎市岡本太郎美術館学芸員)「はじまりとかたち」について 寄稿 します。<以下に掲載しました> 2021/10/27
会場にて 吉岡洋(美学者・京都大学こころの未来研究センター特定教授)と 鴻池朋子との 対談 を収録しました。<後日動画公開>
見る★ 会場での 鴻池朋子インタビュー京都新聞に掲載されました。<別ページに表示します> 2021/10/23
雑誌アートコレクターズ いしいしんじ のエッセイ「いきものの顔 - 鴻池朋子作品から見たとき」が掲載されました。<書店で発売中> 2021/10/25


WEB特別寄稿 by 仲野泰生
「手から生まれたもの、触覚からの秘密」

「我々がこれから考えようと思っているのは、芸術(アート)という言葉の意味を定義し直すことだ。
私にとっては、それは様々な物に対する究極の意識ということかもしれない」

(ロベルト・マッタ)(1)

 岡本太郎が美術雑誌『みづゑ』に「四次元との対話 縄文土器論」を掲載したのが、1952年のこと(2)
 この年から日本の「美の価値観」が転換したと言えるかもしれない。何故なら岡本の縄文土器論は、縄文土器を考古学的な価値観の位相から美の価値観の位相に転位させたといえるからだ。
 かつての日本美術史は弥生土器や埴輪の繊細で調和の美の価値から始まり、中世に完成された「わびさび」という日本の代名詞的な美観に至る流れであった。岡本は「縄文の美」を端緒とする、もう一つの流れを加えたと言えるだろう。あるいは美の価値観を転換させたと。
 ところで縄文土器は女性が作っていたという説がある。無名の普通の人たちの手によって土器が生活の中で、そして祈りの中で作られたといわれている。
 一つの試みとして早稲田大学の高橋龍三郎氏らのパプアニューギニアをフィールドワークしながら、文化人類学的な研究と縄文社会とを繋げる時空を超えた冒険のような研究がある(3)。パプアニューギニアのセピック川沿いのある部族では男は狩猟、採集が中心、タロイモ栽培は男と女で行う。そして土器作りは女性たちが行っている。オセアニアの部族社会を調査してどのような社会を構築しているかを調べ、人類社会の法則性を見出して縄文時代の社会に類推・適応させていく研究である。
 パプアニューギニアの生まれたばかりの土器の横に、縄文土器や土偶を並べてみることが必要なのかもしれない。文化人類学は美術史を解体させる。

 今回のギャルリー宮脇の「はじまりとかたち」展の鴻池朋子(1960〜)作品は、鴻池の手から生まれた素焼きの作品が中心となっている展覧会だ。
 鴻池は2009年「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」展(オペラシティアートギャラリー)で文化人類学的な神話世界に興味を持ち、また2011年3月11日の東日本大震災を契機とした2012年から始まった「東北を開く神話」展(秋田県立美術館)などから制作に対する姿勢が大きく変わったのではないだろうか。
 東日本大震災は日本人の生きる価値観を変えた。同様に、震災は鴻池の今までの「生きることの意味」や「アートの価値観」を激変させたのではないだろうか。そして、今回の素焼きの粘土の作品が作られ、発表される。2015年「根源的暴力」展(神奈川県民ホールギャラリー)は自然に対する根源的な人間の表現の発露に満ち溢れた作品が展示室を横溢していた。鴻池の手から生まれた素焼き粘土の作品もここに展示された。私はこの展覧会を観て、自分の深いところで何かが揺さぶられる感覚を覚える。
 展覧会にはとても印象的な二つ作品があった。この大きさ10cmほどの小さな作品《素焼粘土》と巨大な牛の皮革を繋いで描いた作品《皮緞帳》(高さ6m×横幅20m)である。
 特に土から生まれ、彼女の手から生まれた作品たち。粘土をただ握っただけの作品もある。この二つの作品から感じられるエネルギーは、人間の表現の本質への問いかけとして私たちに向かってくるようだ。
 今回の「はじまりとかたち」展では、これらの素焼きの作品が、ギャルリー宮脇のコレクションと同じ空間で不思議な対峙をしている。
 そのコレクションはアンリ・ミショー(ベルギー1899〜1984)、ジャン・フォートリエ(フランス1898〜1964)、ジョアン・ミロ(スペイン1893〜1983)、ロベルト・マッタ(チリ1911〜2002)の版画作品。この4名の著名なアーティストたちの作品と鴻池朋子の作品の結ぶ鍵語には、どうも「触覚の秘密」という語句が当てはまるのではないかと考えたい。

 触覚から覚醒した画家にジョアン・ミロがいる。
 「ミロの作品は時間を超越した子供のころのメタフィジック(形而上学)がある」といったのは岡本太郎だ(4)。この「子供のころのメタフィジック」という指摘はミロの本質を衝いている。そしてミロ自身は「私は色彩家だが、形になるとどうしようもない」と言う。「目を閉じ、触覚に従ってデッサンすることによって、やっと形について生き生きとした感覚が持てるようになる(5)。」 特に初期の細部に拘るディテイリスト(Detailist)としてのミロの絵画を見ると、触りながら描いているようにみえる「触覚の絵画」と言えるかもしれない。
 触覚から独自の絵画を創り出したミロとは逆に、絵画からさらに自身の表現の発展形として触覚の造形を行ったアーティストがロベルト・マッタである。
 1930年代マッタの絵画は「心象風景」や「心理学的形態学」と呼ばれ、シュールレアリスムの主宰者アンドレ・ブルトンから高い評価を得ていた。マッタは1970年代から立体作品を作り始めているが、より触覚的な表現の追求として1992年から陶芸を始めた。
 また《CHAOSMOS》(1973年)という立体作品のシリーズは原始時代の彫刻を思させるような造形である。このシリーズは観る側の触覚を喚起させる物質性を有している。それが最終的に陶芸の作品に繋がったのではないだろうか。マッタの「心理学的形態」は原始の状態に回帰したのかもしれない(6)
 ジャン・フォートリエは美術史的には「アンフォルメル(非定型)」の作家と呼ばれている。第2次世界大戦中に描かれた《人質》シリーズは「鉱物のような人間像」を作ったと言われ、高い評価を得た。
 特に《人質の頭部》(1943〜44年 テートギャラリー所蔵)という立体作品は人の頭というより岩石に近い。まさに「鉱物のような人間像」である。人が作ったというよりも地球が作ったようなものをフォートリエは提示したかったのかもしれない。単純にアンフォルメル作家と言えないほど、原始的な形を絵画でも創り出している。先の《人質の頭部》と同名のタイトルの絵画がある(アーティゾン美術館所蔵)。キャンヴァスに絵の具の塊を塗り込めたような頭部である。これも触覚的な絵画なのかもしれない。
 詩人のアンリ・ミショーは言葉を巡って困難な精神状態だった時(1925年)に、パウル・クレーやマックス・エルンストの作品に出会い、言葉よりも描くことに惹かれていく。対象や再現にとどまらない絵画の可能性を二人のアーティストから感じたのだろう。ミショーはデッサンについて「生れたばかりのもの、生まれつつある状態、無心と驚きの状態にあるもの」と述べている。
 この「生れたばかりのもの」という言葉はミショーの作品だけでなく、今回の展覧会の作品やアーティストたちに通底している言葉ではないだろうか。特に鴻池の《素焼粘土》はまさに「生まれたばかりのもの」なのではないか。この展覧会名が示すように「はじまりとかたち」なのだ。
 コロナ禍の時代を生きる私たちにとって、実は美術史や美術用語といった専門用語はどうでもよく、生きるためのエネルギーを欲している。
 今回の展覧会は一つ一つの作品からそのエネルギーが表出しているかもしれない。

(なかの・やすお/京都場館長、元川崎市岡本太郎美術館学芸員)

註)
(1)ロベルト・マッタ展図録「みずからの大海」(1993年 フジテレビギャラリー刊)「フェリックス・ガタリ マッタとの対話、1987年4月」(ガタリによる採録、星野埜之訳)
(2)美術雑誌『みづゑ』「四次元との対話 縄文土器論」(1952年2月号 美術出版社刊)タイトルに「四次元との対話」とつけていることに注目したい。単に縄文中期の造形に関心があっただけではない考察があった。
(3)「パプアニューギニアの土器作りと縄文土器」(高橋龍三郎 2017年10月長野県立歴史館発行)「進化する縄文土器―流れるもようと区画もよう」
(4)『岡本太郎の本4 わが世界美術史 美の呪力』(1999年 みすず書房刊)pp.272-275 ミロの立体について岡本太郎は「絵画よりも好きなくらいだ」と言っている。 (5)『デュシャン、ミロ、マッソン、ラム』(ミシェル・レリス 岡谷公二訳 2002年人文書院刊)p.43 レリスはミロの19歳の時のアカデミー・ガリに入った時の回想を紹介している。「不器用の権化」「直線と曲線を区別することもできなかった」と。
(6)画集『MATTA』(1996年 SKIRA刊行)pp.96-97, pp.126-136を参考にした。